Natural Abilities

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話がよくとびます

鏡は左右反対に映るから、身体認知がどうこうと書いてる文献がありました。内容は参考になるものでしたが、鏡は左右反対に映らんでしょう。

自分の右手が、鏡に映ってる自分の立場では左手になるという見方は出来ますが、実際に右にあるものは右に映ってます。

鏡は左右反対に映るとか小学校でも習った記憶ないですが、結構よく聞きます。私だけかも知れませんけど。

左右反対に映らないという立場で考えた時に、何が反対になるかというと前後が反対ということになると思います。

前後、左右、上下などという言葉は相対的なものなので、こういうことになるんでしょうね。だから面白いのですが、って私だけですか。

ものごとを考える時に空間的に考えるという表現をすると、伝わった試しがありません。まあ伝わる必要もないんですけど。主観的な感覚なので。

でもこういうことは、指導だとマズいですね。自分が出来ることと、相手が出来るようになるのは別ですから。

お客さんやクライアントさんが、指導者の感覚を理解しなければならないような指導スタイルは如何なものかと思います。こういうケースは往々にしてあると思います。

昔、ピアノを習っていたのですが、先生が「このように弾きなさい」と言ったことは一度もありませんでした。もし、「このように弾きなさい」という指導だったら、すぐに辞めていたと思います。

音楽が好きな人ならわかると思いますが、例え同じ楽器で楽譜通りに音を出しても、人によって、また同じ人でもその時によって全く違う音になります。これはアコギであろうがエレキであろうが全く違う音になります。これは当然のことです。

最初から言語化するのが難しい違いを感じる能力というのは、運動指導においても必要だと思います。しかしながら、それを感じる能力を、後天的に身につけるのはなかなか難しいと思います。京都の勉強会にはヒントがありましたが。

そういう能力がないまま、運動指導の能力を上げようとして、解剖学だの運動学だの色々な知識を身につけようとすると、ますます見えなくなります。勉強してたくさん知識が身についたら指導能力が上がるというのは勘違いだと思います。

実は素人の方がよく見えているなんてことはよくあると思います。否定する人もいるでしょうし、否定したくなる気持ちも分かりますがそう思います。

ですから、入りたてのスタッフや知識量はそれほどないスタッフの方がよく見えていることもたくさんあると思います。それを潰すのは勤務年数だけを重ねた社員や、自称専門家なんですけど。

アルバイトスタッフの方々のアイデアでも、社員ではなかなか考えつかないことが結構あります。素直に取り入れたらいいようなことでも、色々理由をつけてやらないことが多いかも知れませんが。

「いやいや、そんな単純な話じゃないんだよ、話してもわからないと思うけど実は色々あってね・・・」という感じですか。まあ仕方ない部分もあるでしょうけど。

運動指導の話に戻りますが、これはあるスタッフに聞いた話ですが、有料ピラティスの指導を始めたスタジオインストラクターとお客さんの話。

そのインストラクターのピラティス指導を受けたお客さんがスタッフに、「難しくて全然わからへんかったわ~わかるまで頑張るわ」って言ってたそうです。当然こういうケースもありますわな。
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    06:32 | Trackback : 0 | Comment : 4 | Top

コメント長くなったので

いただいたコメントを返そうと思ったら、かなり長くなったので記事にしました。「正常」とか「自然体」って何だろうなという話です。文章は記事用に修正しましたが名残もあります。

正常というのは色々な捉え方があると思いますが、ある程度の幅があるものだと思います。比較するひとつの基準として持っておくということですかね。

比較する基準を持っておくということですから、「自分なり」でいいと思います。とは言え、「自分なり」を築き上げていく作業はずっと続くものであって不変のものではないかも知れません。

例えば、医学的管理が必要な場合の数値は「自分なり」というわけにはいかないでしょうが。

正常という言葉はここではおいといて、前回の記事に少しリンクさせて、ひとつの基準、比較するための基準という切り口で進めていきます。

比較する基準といっても時間も考慮しますから、「さっきと比べて」、「昨日と比べて」といった作業もあります。これはみんな普段からしていると思います。

また、対象者や場合によってはその家族の考える基準(価値観も含まれるでしょうが)や取り巻く環境など、考慮することは色々あると思います。

このように、実際には比較する基準といってもひとつではなく、様々な基準と適宜比較しながら、展開していくものだと思います。

ある基準から逸脱しているから良い悪いという結論には当然ならないわけですが、その差異が示すものは何なのかということを考えることが必要だと思います。

正常とされるアライメントから逸脱しているから修正しないといけないとか、硬くなっているから緩めないといけないとはなりませんね。

そこには理由があってそうなってるわけですから、適応した結果とも考えられると思います。ここはまた別の機会に譲ります。

「自然体」という言葉を自分なりに考えないと、何だかわかった気になりそうですね。そのことはガリガリの人が以前ブログで取り上げてましたけど。この言葉に限らず、専門用語を知るとわかったつもりになりがちです。

魚住先生の仰る「自然体」というのは、魚住先生の中の定義があって、それが魚住先生の基準のひとつになっていると思います。それは今までの著書やBBSでのやり取り、講座、勉強会等で発信されていますね。

魚住先生は「今はそう考えています」とよく仰いますから、やはり自分なりに考えていく作業というのは必要だと思います。

私の場合は、魚住先生の仰る自然体とは何だろうとは考えますが、個人的に「自然体」という言葉を使うことは今のところありません。

しかし、魚住先生の仰る「自然体」とは何だろうということを考えていくことで、自分自身の指導に活かせると思います。

反対の言葉を無理矢理つくると、「不自然体」ということになろうかと思いますが、世の中にそんなものあるのかとも考えられます。

言葉の意味や定義付けというのは大切ですし、同時に言葉は相対的であるという側面も持っていると思います。

ですから、「不自然体」があるとしたら、例えば他人の操作によって作られたもの、我々で言えば不適切な指導、一方的な指導が原因なのかも知れません。

他の視点では、内部もしくは外部環境に適応出来ていないとか(これ結構重要だと思います)、京都での勉強会の中にも大きなヒントがありましたね。

余計な細工をしたので、長くなりました。今回はこれでおしまい。
    00:15 | Trackback : 0 | Comment : 4 | Top

そういう感じ

専門書に書いてあることや、ガイドライン、マニュアルといったものを否定する人がいます。

しかしながら、そういった基準となるものと言いますか、他の何かと比べる対象があること自体が非常に意味のあることです。

比較するものがあるから発展するのであって、何かを丸ごと否定するという作業は排他的であり、思考停止を意味します。東洋の思考とか言いながら排他的・盲目的な人がいるのは笑い話です。

例えば、運動学の本や歩行分析の本に、いわゆる歩行周期や各関節角度、各筋群の活動などが書かれています。

それを、「歩き方はそうじゃない」と言う人がいますが、そもそも正しい歩き方を書いているわけではありません。

歩行周期の表現に、以前はヒールストライクという表現がありましたが、初期接地に踵を接地しない歩行もありますから、イニシャルコンタクトという表現をされるようになってきました。

関節可動域で言えば、正常可動域という表現から参考可動域という表現に変わりました。

そのように変化を続けていくものだと思います。そもそも教科書、専門書の内容がずっと同じなわけありません。

人体解剖学では、たくさんの人を解剖して今があります。ある筋は何%の人は欠損してるとか、胸骨筋や頸肋のような異常とされるものもありますが、ほぼ共通した身体の作りというのがわかってきたわけです。

解剖実習でお世話になった医学部の解剖室には、創立者の骨格が保管されていて、「医学の発展は、たくさんの方々の協力があるから。自分だけ墓に入るわけにはいかない」という内容が書かれてありました。

そのように、学問というのはたくさんの人達が関わって発展してきたものであって、「それは間違っている」なんてことを軽々しく口にするものではないと思います。

鵜呑みにするという意味ではなく、発展的な提言なら有意義なのですが、そうではなくただの理解不足や勘違い、一部だけを取り上げて否定するような的外れなものも見受けられます。

そもそも、「人それぞれです」で締めるだけなら誰でも出来るわけですし、勝手な理屈を並べて「独自の理論」なんて主張するのは、ものごとをややこしくしてるだけです。

しかしながら、文頭に書いたようにそれも必要なことと言えます。それに対しておかしいと言うならば、何がどうおかしいのか、専門家を名乗るならば、説明出来なければなりません。

他人のブログを読む時にも、そういった視点も持っておくとトレーニングになります。

なるほどと思うこと、確かにそういう視点もあるなと思うこと、ちょっと変だなと思うこと、ランジ100種類って何だろうと思うこと、すべてトレーニングになります。

まあトレーニングというか考える遊びみたいなもんですが。

もちろん自分のブログも同じようにしてます。まあ自分で書いておきながら、別の意見も持っていますから。そういうものだと思っています。
    03:02 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

風邪ひいたと思ったら寒いだけでした

他人にアドバイスや指導をする仕事というのは、一歩間違えると余計なお世話になります。

ちょっと勉強したり取り組んでいると、他人に伝えたくなるのはわかりますが、それは必要だと判断した時に出すものです。

フィットネスクラブには色々なお客さんがいて、トレーナーにアドバイスを受けたい人もいますが、そうでない人もたくさんいます。後者にウンチク垂れても仕方ないし、迷惑な話です。

自分に興味を持ってないおねーちゃんに対して、自分の話ばかり、自分の興味のある話ばかりしてると上手くいかないのと同じですな。

私の場合、他人に干渉する仕事なので色々なことを考えます。他人が求めているもの、ことは何なのかと、相手の様子や反応、あれで良かったのかなど、気が小さいのでいちいち気になります。

感謝されたら、気が小さいから安心します。「これが本質なんです」とか、「これが正しいんです」とか言えません。言える人はすごいと思います。

メディアで色々な健康法やダイエット法が取り上げられていますけど、あれはあれで結構面白いものもあります。それを丸ごと否定したり、丸ごと取り入れるのは「専門家としてどうなん?」という話ですが。

特定の食材や食品に特化したダイエットも、栄養とか色々な知識が付随しています。たくさん取り上げたら一般の人でも栄養に詳しくなるんじゃないですかね。

メディアに影響される人がいるのは仕方ないし、嬉しそうにその話をしてくれているのに、「いや、それは違うんですよ」という態度はどうかと思います。

一昔前は、トレーニングなんてほとんど取り上げられていませんでした。それが今は有酸素運動とか筋トレとかよく見かけるようになりました。それで恩恵を受けている側面もあると思います。

初対面のトレーナーが私に、「スロートレーニングっておかしいですよね」、「初動負荷トレーニングっておかしいですよね」、「加圧トレーニングっておかしいですよね」とマシンガントークを炸裂させてきた人がいました。「お前がおかしいねん」という話です。
    20:04 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

ネタないんで怪談はいかがでしょう?

マスコミが「政治と金の問題」と言いますけど、これは何かの標語ですか?何が問題なのかよくわからんでしょ。「マスコミと大衆の問題」の方がしっくりきますわな。

「共感しました」という言葉をよく使う人がいますけど、「共感」の意味をわかってるんですかね。

わかってないから、「自分が経験したことがあるから共感出来る」というバカなことを言うんでしょうね。自分の経験に照らし合わせるのは共感とは言いません。そういうのが危ないんですけどね。

話は変わりますが、昔の日本人は素晴らしい身体の使い方をしていた、何てことを言う人がいます。私にはわからないので何とも言えませんが、身体と文化が関係するというのはわかるような気がします。

効率の良い身体の使い方が必要だというのはわかりますが、「効率が良い」というのはどういうことかを考えないといけません。こういう、そもそもの部分がよく欠けますね。

あえて極端に表現すると、トレーナーは「体力を維持・向上させる専門家」と思っています。こういうことを書くと、「いやいやそんな狭い仕事じゃない」と言う人もいるかも知れません。

しかし、「体力とは何か?」ということを考えていくと、決して狭くないし、「体力を維持・向上させる専門家」と言えるレベルになるにはどれだけ大変なことかわかると思います。最大筋力や最大酸素摂取量を向上させる専門家とは言ってませんし。

腰痛を持った人が病院のドクターに「体力つけなさい」と言われることがあります。無責任だ、適当だなんて批判するトレーナーもいるようですが、そんな間違ったこと言ってないと思いますけどね。トレーナーがしょぼいんじゃないの。

体力だけじゃなく、姿勢も大切だと言っても、姿勢は体力要素でしょ。だから体育学の勉強しないとマズいんでしょ。経済学部出身者が言うのも何ですけど。

話は逸れましたが、そもそも昔の日本人よりも、今の日本人の方が平均寿命は長いわけです。ですから、効率的な身体の使い方という視点だけで比較しても仕方ないと思います。

フィットネスでは、「健康の維持・増進」と言いますけど、病気になった後、つまり予後は病気になる前の体力が影響します。しかしながら、そういった動機でトレーニングする人はそういないでしょうから、それを掲げても仕方ありませんが。

身体の使い方が良くなったことで、身体活動量が増えるという流れは当然考えられますし、それは有意義なことだと思います。ただ、何故か身体の使い方とトレーニングが相反する言葉のように扱われているのかが意味不明なのです。
    18:20 | Trackback : 0 | Comment : 6 | Top

もうちょい

ブログやめると書いておきながら、ある方がやめない方がいいと仰ったので、しばらくやめないことにします。相変わらず素直な人間です。

フィットネスから離れるので何を書こうかと。じゃ、トレーナー的視点で今回のアジアカップを総括すると、「日本が勝って良かったな」ということですな。

アスリートのパフォーマンスがどうのこうのウンチク垂れるのは自由ですけど、トレーナー的にとか意味不明です。

そもそも、一生懸命プレイしているアスリートのパフォーマンスを、茶の間で鼻クソほじりながらテレビを観て、「まだまだ二流」みたいなことを偉そうにブログで書くのはどうなんでしょうね。いちファンとしてならわかりますけど。

最近は知りませんけど、トレーナーになりたいと思うきっかけは自身のスポーツ経験も多いと思います。

最初から裏方の仕事をしたいと思う人もいるでしょうけど、自分自身が一流レベルのアスリートになれるならなりたかったんじゃないかなと。

でもどこかで諦めて、アスリートに自分の夢を託したいという想いがどこかにあると思います。それは決して悪いことではないと思いますけど、場合によってはただの厚かましい奴になりかねません。

私も全盛期の斉藤和巳選手みたいなピッチャーになれるならなりたかったですよ。でも身長も才能も足りなかったから、別のことに興味ややりがいを感じるようになったわけです。

今は自ら進んで仕事としてスポーツに関ろうとは思ってないし、今特に興味を持っているのは脳卒中後遺症です。人生はわからないものです。わからないから、数年後はやっぱスポーツでしょとか言ってるかも知れません。

スポーツってやっぱり観てて面白いし、まだまだ自分自身やりたいと思っています。来年あたりから草野球を再開しようかと思っています。身体や運動の専門家だからとか全く関係なく趣味でしかありませんけども。

魚住先生に来年からは自分自身のためにスローイングを教えてもらおうかな。
    17:27 | Trackback : 0 | Comment : 8 | Top
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