Natural Abilities

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たまには真面目振って書いてみますよ。

病院には色々な患者さんがいて、中には進行性の疾患でどんどん身体・精神機能が低下し、ADLが低下していく方もたくさんおられます。意志を伝えるのは眼球の動きのみとか、精神興奮による不随意運動の亢進から読みとる必要があるとか。

そういう方を担当させていただくことが多々あります。こちらの問いかけや話に対して言語的コミュニケーションとして反応があるわけではないので、ついつい話しかける回数も減ってしまいがちです。

ただ沈黙の中、黙々と行うのはどうかと思うので、色々話し掛けたり、自称面白話とか、自分の話とかをずっとしてるわけです。

そういった中で例えば、話の途中で不随意運動が激しくなった時、面白いと思ってるのか不快なのか、体調が悪いのか、全然わかりません。何が良いのか、どうすれば良いのかといつも考えます。

はっきり言って自己満足の世界かも知れないと思うことがあります。自己満足は大事だと思ってますけど、それは今得られるものではないように思います。

ご家族の方からは何も治せやしないただのPTSに対して、感謝の言葉をいただくこともありますが、すみませんとは言わないまでも、すみませんと思ってしまいます。

以前、某大学病院の理学療法士の方が、「治らないからこそ、関わる価値があると思う」と仰っていました。その方の言葉の真意はわかりませんけど、どのようなケースであれ、自分自身が出来ることを必死で考えて取り組むことが基本かなと。

患者さんを想う気持ちは、ご家族の方が強いだろうし、そうでなければちょっと悲しいケースですけど、じゃあ専門職として関わるならば、患者さんやご家族を想う気持ちだけでは足りんだろうと思うわけです。

もちろん専門知識や技術を無理矢理解決策として用いたがるのは問題でしょうし、視野が狭くなるだけでしょう。入院して治療を受け続けるより、退院した方が良いと思えるケースも多々あると思います。

それはドクターを始め、スタッフも感じていることだったりしますが、本当に一筋縄ではいかない色々な要素があるとも感じます。

前回の記事の続きみたいになりますけど、人間性とか言いだしたら、実体がないし、普遍的な答えがないわけですから、どれだけ立派な言葉を並べたところで、結局求められるのは何らかの結果でしょう。

それは、もうこれ以上はどうしようもなかったという、諦めに似たものと同時に自己嫌悪でなく自己満足を得られるくらい取り組むのもいいんじゃないかと思っています。

もちろん、何もしない方が良いと判断したならば、その選択肢も当然あります。

結果は他者に委ねるという考え方もあるでしょうけど、仕事として責任を果たすというならば、自己完結させるべき部分というのは当然あると思っています。

そもそも自分の仕事は何なのかを考え続ける必要はあると思います。そしたらいちいち人間性とか分けて考えないんじゃないかな。って私の場合は。

真面目振って書くとまあ面白味のない内容ですわな。いつものことということで。
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