Natural Abilities

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そういう感じ

専門書に書いてあることや、ガイドライン、マニュアルといったものを否定する人がいます。

しかしながら、そういった基準となるものと言いますか、他の何かと比べる対象があること自体が非常に意味のあることです。

比較するものがあるから発展するのであって、何かを丸ごと否定するという作業は排他的であり、思考停止を意味します。東洋の思考とか言いながら排他的・盲目的な人がいるのは笑い話です。

例えば、運動学の本や歩行分析の本に、いわゆる歩行周期や各関節角度、各筋群の活動などが書かれています。

それを、「歩き方はそうじゃない」と言う人がいますが、そもそも正しい歩き方を書いているわけではありません。

歩行周期の表現に、以前はヒールストライクという表現がありましたが、初期接地に踵を接地しない歩行もありますから、イニシャルコンタクトという表現をされるようになってきました。

関節可動域で言えば、正常可動域という表現から参考可動域という表現に変わりました。

そのように変化を続けていくものだと思います。そもそも教科書、専門書の内容がずっと同じなわけありません。

人体解剖学では、たくさんの人を解剖して今があります。ある筋は何%の人は欠損してるとか、胸骨筋や頸肋のような異常とされるものもありますが、ほぼ共通した身体の作りというのがわかってきたわけです。

解剖実習でお世話になった医学部の解剖室には、創立者の骨格が保管されていて、「医学の発展は、たくさんの方々の協力があるから。自分だけ墓に入るわけにはいかない」という内容が書かれてありました。

そのように、学問というのはたくさんの人達が関わって発展してきたものであって、「それは間違っている」なんてことを軽々しく口にするものではないと思います。

鵜呑みにするという意味ではなく、発展的な提言なら有意義なのですが、そうではなくただの理解不足や勘違い、一部だけを取り上げて否定するような的外れなものも見受けられます。

そもそも、「人それぞれです」で締めるだけなら誰でも出来るわけですし、勝手な理屈を並べて「独自の理論」なんて主張するのは、ものごとをややこしくしてるだけです。

しかしながら、文頭に書いたようにそれも必要なことと言えます。それに対しておかしいと言うならば、何がどうおかしいのか、専門家を名乗るならば、説明出来なければなりません。

他人のブログを読む時にも、そういった視点も持っておくとトレーニングになります。

なるほどと思うこと、確かにそういう視点もあるなと思うこと、ちょっと変だなと思うこと、ランジ100種類って何だろうと思うこと、すべてトレーニングになります。

まあトレーニングというか考える遊びみたいなもんですが。

もちろん自分のブログも同じようにしてます。まあ自分で書いておきながら、別の意見も持っていますから。そういうものだと思っています。
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Comment
2011.02.14 Mon 07:52  |  元ボクサー #-
今日から実習ですが右心房あたりが取れたんじゃないかってくらい緊張しながら病院に向ってます。

僕は最近「正常」て何をもって正常なんやろ?って考える事が多いです。

魚住先生もよくおっしゃられますがこの前Y原先生に歩行などの動作を観察する為には自分の中で正常を持っておかないといけないと言われたのですが「自分の中で」という事は決まったものは無いんでしょうね。

最近正常、自然体って考えれば考える程よくわからなくなってきました。
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2011.02.15 Tue 23:22  |  NISHI #-
元ボクサーさん。
コメントありがとうございます。実習先は忙しいところですね。
コメント長くなったので記事にします。役に立つと思うことはまた直接話します。
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